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浅間火山レース検証
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 1955年の第1回浅間高原レースのパンフレット表紙にはレースの期日が10/26〜27と記されています。しかし実際にレースが行われたのは11/5〜6でした。最初はこの日程の食い違いのわけが分らなかったのですが、調べてみると次のような事情が分ってきました。当初のコース設定は県境を越えて長野県側まで入り込み峰の茶屋から今の浅間火山ルートへ入り鬼押し出し付近から実際に行われたコースに戻るという全長23kmのものでした。ところがレース間直に長野県側(長野県警察)から公道使用について許可が出せないということになり、一旦は10/26からのレース開催は中止となりました。それでも開催に対する要望は強く、主催者側は長野県に比べレースに対して好意的であった群馬県内だけにコースを短縮し許可を得ることができたのです。結局コース全長は19.2kmとなり日程も11日ずらすことにより初の本格的オートバイレースが開催されたのでした。

 公道を使用したレースですから、一斉にスタートすることはなく、2台ずつ30秒間隔でのスタートでした。また警察との約束でラップタイム、トータルタイムとも発表されず、前車とのタイム差のみ公表されました。しかし実際のスピードは主催者・警察が想定していたものよりもかなり速かったようで、ついに次回の開催許可がでることはなかったのです。
また、このレースが日本のオートバイの耐久性能の向上を目的としていたことから、出場は国産バイクに限られ、部品にいたるまで国産品に限定されました。レース後に輸入パーツの使用が発覚し失格となった者もあったほどです。

 今では北軽井沢でもほとんどの道路が舗装され、快適なドライブが楽しめますが、1955年当時はすべてが未舗装でした。ただ舗装されていないというだけでなく当地独特の火山灰と浅間石のまじった道路は、雨が降ればすぐにぬかるみ、わだちはえぐれ、下から大きな浅間石(溶岩が固まって割れたもの)がごろごろ出てくるという酷い状況でした。今でも一部の別荘地の中に未舗装の道が残っていますが、一年でも補修を怠っていると、RV車でもやっと通行できるといった状況になってしまうのです。
 ロードレースの形ではあったのですが、このレースはほとんどモトクロスといってもよいようなまさしく耐久レースだったのです。
 こういった道路状況にもっとも泣かされたのがホンダでした。当時すでに一番手のオートバイメーカーであったホンダはこの大会でも優勝候補の筆頭だったのですが、他メーカーよりも先進的で複雑なエンジン構造が浅間の悪路にでは逆にマシントラブルの原因となってしまったのです。125ccクラスではヤマハ、スズキに上位を独占され、250ccクラスでもライラックに乗る無名の少年伊藤史朗に優勝をさらわれ、かろうじてライバルのすくない350ccと500ccクラスで勝つことができたのですが、当時のバイク市場(貧しかった日本では大きい排気量のバイクは一般人の手の届くものではなかった。)を考えるとレース結果はホンダにとっては惨敗と言えるものでした。その後の浅間火山レースでもホンダは圧勝といえる結果は残せなかったのですが、ホンダエンジンの優秀さはその後海外のマン島TTレースやWGPなど舗装サーキットで実証されることになるので、やはり浅間の悪路がホンダにとって相性が悪かったということなのでしょう。
1957年完成した浅間高原自動車テストコース、浅間牧場と嬬恋村から土地を借り受け、火山灰を踏み固めて作られた。日本で最初のクローズドサーキットである。全長9.2km. 現在の航空写真に、コース図を重ね合わせてみた。航空写真にはコースの跡がかなりはっきりと読み取れる。当時の進入道路は現在の道路よりかなり南であったことが分る。より
おそらくメインスタンド脇と思われる地点。今は浅間牧場へ返還され立ち入ることができない。 浅間牧場の敷地は、野生動物の進入を防ぐためか、家畜の脱走をふせぐためか、このような頑丈な柵で囲まれている。
まるで、Windowsのデスクトップのような風景。浅間牧場のコース跡です。こうやって見ると一面の牧草地ですが、上空からの写真にはコース跡かはっきりと写っています。 この写真の左に現在の道路が走っています。間に木立があるため、道を走りながらでは牧場内は見えません。
航空写真に写っていたなぞの建物、柵により近づいてみることができませんでした。コース関係の建物かと思ったのですが、どうやら違うようです。 スタート地点と思われるポイントから撮影。後ろは浅間山です。
右手の藪がメインスタンドではないか?
メインスタンドであったと思えるところ。すこし小高くなっているが、建造物の名残などは発見できず。 ヘヤピンコーナーから戻ってきてのストレートと思えるところ。
当時の写真によく写っていた構図、すぐ後ろに小浅間が見える。ただし当時の写真にはこんなにおおきな木の森は無く、小浅間や浅間がずっと近く見える。 50Rを回って戻ってくるコースの跡と思える。
50Rの出口付近、今ではうっそうとした森になっているが、当時の写真を見ると火山灰の裸地で、さすがに半世紀の年月を感じさせる。 メインスタンド前のストレート、撮影者の後ろから前に、走っていった。正面に見える柵から先は浅間牧場に返還されたためここで途切れている。

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